5,074社の死角 研究者が起業しない国 ニッポンの構造問題

【図解】5,074社の死角。「研究者が起業しない国」ニッポンの構造問題

日本の大学発ベンチャーは5,074社。経済産業省が2025年に公表した最新調査(2024年10月時点)で、企業数も増加数も過去最高を更新しました。数字だけ見れば「研究者の起業ブーム」が来ているように見えます。

ところが、研究室の中の空気は違います。「起業なんて自分には関係ない」。多くの研究者にとって、起業はいまだに遠い世界の話です。技術力の問題ではありません。意欲の問題でも、実はありません。

この記事では、研究者が起業しない理由を「制度・お金・人材」の3つの壁として構造的に解きほぐします。読み終えるころには、「大学発スタートアップ急増」の裏側と、そこにあなたが関わる余地が見えてくるはずです。

なぜ研究者は起業しないのか?答えは「意欲」ではなく「構造」

研究室から起業までの道に「制度の壁」「お金の壁」「人材の壁」の3つの壁が立ちはだかり、その先に5,074社の大学発ベンチャーが見える構造図

結論から書くと、研究者が起業に踏み出しにくいのは、「起業しても割に合いにくい構造」の中に置かれてきたからではないかと思います。

「やる気がない」のではない

GEM(グローバル・アントレプレナーシップ・モニター。起業意識の国際調査)では、「身近に起業家がいる」「周囲に起業の好機がある」「起業に必要な知識・経験がある」の3問すべてに「いいえ」と答えた人を「起業無関心者」と呼びます。日本はこの無関心層の割合が高めだと指摘されています。

問題は「関心への入り口までの距離」

ただ、ここに見落とされがちな事実があります。同じ調査の分析では、いったん関心を持った層は、実際の起業へ進む割合が低くないのです。つまり問題は「やる気のなさ」ではなく、関心を持つ入り口までの距離。その距離を生んでいるのが、これから見る3つの壁です。

壁① 制度——起業は「申請書の山」から始まる

1つめの壁は、制度です。

兼業は、今も「承認制」

国立大学の教員が企業の役員を兼ねることは、長く厳しく制限されてきました。現在は、TLO(大学の特許を企業に橋渡しする技術移転機関)の役員や、自分の研究成果を活用する企業の役員などの類型で、承認制により認められています。裏を返せば、起業は今も「承認を取る」ところから始まるということです。

「利益相反」という事務負担

さらに、利益相反(企業から得る報酬や株式と、大学での教育・研究上の責任がぶつかる状況)のマネジメントもあります。兼業の申請手続き、兼業時間の報告。一つひとつは合理的な仕組みですが、研究と教育で手一杯の教員にとって、この事務負担は小さくありません。

会社員にたとえると

「副業は解禁されたが、申請書類が分厚く、上司の決裁が毎年必要」——そんな状態を想像してください。制度上は可能でも、心理的なハードルは残ります。

FrontJournalの解説

制度そのものは、年々ととのってきています。それでも研究者が最初に感じるのは「手続きが大変そう」という心理的なハードルです。ここを軽くする支援が広がれば、起業の入り口はもっと開けていくはずです。

壁② お金——研究と製品の間に横たわる「死の谷」

基礎研究から事業化検証を経て製品化に至る途中で資金が大きくへこむ「死の谷」を表したカーブ図。谷をGAPファンドやSTARTが埋める位置を示す

2つめの壁は、お金です。

「死の谷」とは何か

研究成果が論文になってから、製品として売れるようになるまでには、長い検証期間が必要です。この間、研究費は出ない(研究は終わっている)、投資も集まらない(製品はまだない)。資金が途絶えるこの区間は「死の谷」と呼ばれます。

ディープテックでは、谷がより深い

ディープテックの場合、谷はとりわけ深くなります。試作品を作るだけで設備に億単位のお金がかかることも珍しくないからです。ITサービスのように「ノートPC1台で創業」とはいきません。

この谷を埋めるために生まれたのが、GAPファンド(研究成果と事業化の間の資金ギャップを埋める少額の検証資金)や、JST(科学技術振興機構)のSTARTのような公的プログラムです。仕組みは整いつつあります。ただし「谷がある」という前提自体は変わっていません。起業を考える研究者が最初に直面する現実です。

壁③ 人材——「科学者とCEO」は別の職業である

3つめの壁は、人材です。そして実は、これがいちばん根深い壁かもしれません。

経営は、研究室では教わらない

優れた研究者であることと、優れた経営者であることは、まったく別のスキルです。資金調達の交渉、採用、価格設定、顧客開拓。どれも研究室では教わりません。「技術は分かるが、ビジネスの仕組みは知らない」——これは若手研究者の多くが自覚している不安です。

「戻れない」というキャリア不安

加えて、キャリアの構造的な問題があります。日本の博士課程入学者は2003年度をピークに、約20年にわたって減少が続きました(科学技術指標2025)。アカデミアのポストは限られ、競争は激しい。その環境で「起業して数年離れたら、研究者としてのキャリアに戻れないのではないか」という不安は、とても自然なものだと思います。

FrontJournalの解説

必要なのは「研究者が経営まで学ぶこと」ではなく、「経営を担う相棒と出会うこと」だと考えています。そう発想を変えると、この壁はそのまま、商社・金融・コンサルなどで経験を積んだビジネス人材の出番になります。この転換が、次に見る変化の起点です。

それでも5,074社——変わりはじめた4つの兆し

壁の話ばかりしてきましたが、冒頭の数字を思い出してください。大学発ベンチャーは前年から786社増え、過去最高を更新しています。東京大学が最多で、京都大学の増加も顕著です。構造は、確かに動きはじめています。

壁のすべてに、同時に手が入りはじめた

paymentsお金の兆し

GAPファンドが首都圏(GTIE)、関西(KSAC)、東海(Tongali)など全国のプラットフォームで展開され、死の谷の「入り口」を埋める資金が制度化された。

groupsチームの兆し

JSTのSTARTなどで、経営者人材と研究者のマッチング(チーム形成)支援が公的プログラムに組み込まれた。「研究者が一人で背負う起業」から「分業する起業」への転換である。

school人の兆し

約20年減り続けた博士課程入学者が2023年度以降増加に転じ、2024年度は前年度比4.9%増の約1.6万人に(科学技術指標2025)。修士課程修了者の進学率も11.2%へ上昇した。

hub数の兆し

5,074社という母数の増加そのものが、「身近に起業家がいる」状態を作り出す。起業無関心を生む条件が、大学の中から崩れはじめている。

もちろん、楽観しすぎるのは禁物だと思います。増えた会社が育つかどうかは、これからの資金調達と事業化にかかっています。それでも、「研究者が起業しにくい構造」の3つの壁すべてに同時に手が入りはじめたのは、これまであまりなかった動きではないでしょうか。

「研究者の隣の席」が空いている——あなたも参加できる

研究者(技術)とビジネス人材(経営)が組み、GAPファンド・START・VCの支援を受けながら死の谷を渡る共同創業モデルの図

最後に、この構造変化をあなたのキャリアにつなげます。

文系人材:壁③の裏返しがチャンス

文系ビジネスパーソンにとって重要なのは、壁③の裏返しです。研究者に足りないのは技術ではなく、資金調達・事業開発・組織づくりの経験。つまり、商社・金融・コンサル・事業会社で培ったスキルそのものです。共同創業者やBizDev(事業開発)として「研究者の隣の席」に座る道は、経営人材マッチングの仕組みが整った今、以前よりずっと現実的になっています。

若手研究者:「片道切符」ではない

若手研究者にとっては、「起業=研究を捨てる片道切符」という前提を、一度見直してみてもよいかもしれません。経営は相棒に任せて技術責任者として関わる、まず兼業の枠組みで関わる、GAPファンドで小さく検証してみる。選択肢は一つではなさそうです。

FrontJournalの解説

「なぜ研究者は起業しないのか」。その答えが構造にあるのなら、3つの壁すべてが動きはじめた今は、研究者にとってもビジネスパーソンにとっても、動く理由が生まれつつある時期なのかもしれません。フロントジャーナルは、その変化を出典のある数字で淡々と追いかけていきます。

この記事のポイント

  • 研究者が起業しないのは意欲の問題ではなく、「制度・お金・人材」の3つの壁による構造の問題。
  • 兼業承認や利益相反管理の負担、「死の谷」、経営スキルとキャリアリスクが研究者を遠ざけてきた。
  • 大学発ベンチャーは5,074社と過去最高。GAPファンドや経営人材マッチングで3つの壁すべてに手が入りはじめている。

出典:経済産業省「大学発ベンチャー実態等調査」(2025年公表・2024年10月時点)/文部科学省「科学技術指標2025」「学校基本調査」/GEM(グローバル・アントレプレナーシップ・モニター)/科学技術振興機構(JST)START・各GAPファンドプラットフォーム公表資料。

作成:FrontJournal編集部

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